第5回 「太田なわのれん」

牛鍋で文明開化を味わいつくす、横浜ならではの悦楽。

21世紀の現代でも、宗教的な理由で豚肉NGなど食べ物に制限があるのは、よく知られている。日本も江戸時代までは、同様の見地で鳥獣肉を食べない国民だった。ただそれはあくまで建前で、薬と称して獣肉を食べる「ももんじ(百獣)屋」が立ち並び、今も両国にはその名を残す老舗が異彩を放っている。

オフィシャルに牛肉を食べることができるようになったのは、明治以降、文明開化の潮流によるところが大きい。特に横浜は外国人居留地が存在し、そこの滞在者に牛肉を供給する必要があったので、横浜の民の牛肉に対する感覚や興味も、早い段階で開いていた。

とはいっても、その当時の牛肉は今の黒毛和牛のように食肉として世界的に認められているものではなく、筋が多く匂いも強かったという。加えて、肉に対するカットの技術も高くなかったので、ぶつ切りにして小さな鉄鍋を用い味噌で煮たそうだ。その後牛肉は様々に改良され、全国各地で数々のブランド牛も誕生。最近では、サシの多い和牛にはあまり適さない処理とも思える熟成も、欧米に倣ってさかんに行われている。

今回ご紹介をする「太田なわのれん」は、明治元年創業。品種改良された上質の現代牛肉を用いながらも、頑なに文明開化のころのレシピ、つまり味噌で煮るスタイルを守る。食文化の歴史を語る上でも、そして料理店としても類まれな肉の伝道師である。

さて「太田なわのれん」、なわのれんという庶民的な店名ながら、そして立地も横浜の一等地や賑わう繁華街から少し外れた場所にありつつ、周りを圧倒する料亭の佇まいを備えている。唯一暖簾だけが縄でできていて、その名のイメージを残すのみである。

ニッポン食堂遺産として進めている当連載にては、この店は食堂じゃないのでは?とのお声も聞こえてきそうだ。しかし日本で最初に牛肉の文明が開いた横浜において、明治以来の牛鍋の伝統や、味噌で煮るという個性的なレシピなど、文化的価値も含め、遺産にふさわしいと判断させていただいた。

縄のれんをくぐり店内に入ると、大きな玄関があり靴を脱いで上がる。
まず目に入るのは、ちょっとした待合のコーナーである。うまくレイアウトすればダイニングとして使えるであろうスペースでも、きちんと椅子テーブルを置いて、息継ぎの空間を設ける見識は、代々繋いでこられたご主人の達観であろう。そしてこのスペースに、「太田なわのれん」の持つ文化財をさりげなく並べて、牛鍋に興味津々な客の時間調整に一役かっている。

建物内部は、中庭を囲むように大小のお部屋が配置されている。その一部屋に案内されると、仲居さんが静かに登場し牛鍋のすべての調理は仲居さんの手による。そこまでいくとさらに食堂の範疇とは外れていくものの、150年の歴史を持つ味噌で煮るを正確に客に提供するには、頑なにこのスタイルを守るのがベストなのだと解釈した。

鍋の見た目は黒い濃い色をしている。しかしテイストは視覚的なものに相反してやさしく香ばしい。もしかしたら創業当初の味とは異なるかもしれないが、品種改良を重ねつつ昇華した現在の牛肉に対峙しても、柔らかさやジューシーな感じを損なうことなく、ベストマッチなソースと姿を変えて寄り添う。肉汁がとけこんだ味噌に浸された野菜はさらに格別。肉以上に野菜を追加したくなる。

最後は仲居さんのおすすめにしたがって、白飯に鍋から味噌をすくって載せる。またしても決して美しい見た目ではない。しかし素晴らしい美味しさだ。限りなくご飯がススムし、お酒のつまみにもなる。

すき焼きを連想する牛鍋ということで、相当こってりした料理を思い浮かべていた。ところが、子供からお年寄りまで食べる人を選ばない、すっきりとしたバランスのよさが最高の持ち味だと確信した。150年の歴史だけではない、その時々の好みに応じて、そして食材の変化にも敏感に対応して、進化を忘れなかった姿がここにある。ぜひご家族の記念日に、孫から祖父母までご一緒に訪れたい一軒だ。

SHOP INFORMATION

▶ 店名 太田なわのれん
▶ 住所 神奈川県横浜市中区末吉町1-15
▶ 営業時間
[火~金]  17:00~22:00
[土・日・祝] 12:00~15:00 17:00~21:00

▶ 定休日 月曜日、第1・第3日曜日(ただし1月・12月は日曜日営業)
▶ TEL 045-261-0636
▶ FAX  045-261-0659

※食随筆家 伊藤章良さんが出演している、BSフジ「ニッポン百年食堂」は2017年7月1日より再放送開始
http://www.bsfuji.tv/100nen/

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