第2回「丁子庵」

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小諸が蕎麦の町になるずっと以前から、今に繋がる蕎麦店があった。

東京を中心に首都圏に展開する立ち食い蕎麦店(最近は一部テーブル席あり)「小諸そば」。安くておいしくて、お店が清潔で、刻みネギが入れ放題。手軽に空腹を満たすに最高の環境として、特にビジネスマンに絶大な支持を得ている。結果ぼくたちには、小諸といえば蕎麦、みたいな条件反射が出来上がった。

ところで、この小諸そば事業部が、表参道と赤坂に「みまき」「みよた」なる立ち食いチェーンとは異なる上位クラスの蕎麦店をオープンしていることはご存知だろうか。街場の蕎麦屋への挑戦、いや業界を震撼させる展開にも目が離せない。

いっぽう、長野県小諸市は蕎麦だけの町ではない。浅間山を筆頭に美しい山々に囲まれ、小諸城址に作られたランドマーク懐古園も有名。なにより、澄んだ空気と緑あふれる風景、そして古くからの建物を残しつつ上手にリモデルした街並みが、全国から人を惹きつけてやまない観光都市として形成された。

小諸そばのイメージから蕎麦を求めてくる観光客も多く、長蛇の列をなす蕎麦店も散見される。観光の際にもランチは蕎麦を、といったコースもこの町には定着しつつあるようだ。

今回取り上げる「丁子庵」は、小諸を代表する蕎麦店で、行列店のひとつ。しかし1808年に創業、現在の建物は1885年に建てられた土蔵を使っている老舗である。もちろん「小諸そば」が首都圏に定着するずっとずっと以前からこの地で蕎麦を打つ名店だ。加賀藩主が江戸に向かうために整備されたといわれる北国街道沿い、大きく力強い店のロゴとそれにふさわしい頑丈な店づくりは、繊細を売り物にする最近の蕎麦店には珍しく、逆に頼もしくもある。

「丁子庵」の丁子は、クローブのこと。肉の臭みを消すなどに使われる香辛料で、江戸時代から続く蕎麦店とは少々結びつかない。でも、正倉院からも丁子が発見されているそうで、この店がもともと問屋だったことを考えると納得である。というか、その時代から今に通じる屋号を設けた先見性も垣間見る。

力強いエントランスの雰囲気そのままに店内も自然の採光を生かした暗めの涼し気な雰囲気。ぼくは暖かい季節に訪れたが、厳しい冬においては、一歩店に入ると逆に随所から温かみを感じる空気感も想像できた。

蕎麦の味わい、特に美味しさのポイントは、なかなか文章で表現しにくい。食感はゆで加減やしめ方に左右されるし、香りは儚く微妙で、つゆとの相性ともかかわってくる。ぼくは最初の一口をつゆにつけずに食べてみることもしばしばある。蕎麦本来の持つ香りや味を素の状態で確認するわけだ。でも蕎麦はあくまでつゆと絡まってこそ完成する料理で、蕎麦職人も打つ技量だけではなく、その点に最大の集中力を注ぐ。

ではぼくの考える蕎麦の個性や美味しさはどこにあるのか、確実に差が分かるのは『のど越し』だ。ここでいうのど越しとは、口に含んだ瞬間や喉を通る際、蕎麦のエッジが口の中でどのように印象づけられるか、という感覚である。うまいと称される多くの名店に足を運んだものの、のど越し、つまり蕎麦のエッジを感じることのできるそばは希少だった。

蕎麦が出来上がる工程を考えれば、平たいものに直角に包丁を当て細かく均等にカットしていくわけで、カットの技術が巧みであればあるほど、エッジが90度に際立ってくるはずなのだ。

「丁子庵」の蕎麦は、のどを通る瞬間がはっきりと感じられるぐらいエッジが利いていた。というか、それを伝統としてずっと繋いできたとも思えた。
店主にエッジの感覚を伝えたとき、我が意を得たりと相好を崩す。
その『のど越し』を味わってほしいし、『のど越し』を息子にも伝えていきたいと語ったのだった。

いうまでもないが、地元で育てた蕎麦の実を使い浅間山からの水で打ち、そして茹でる。全ての工程が小諸で完結する同じテロワールである。
すでに調理のほとんどを手掛ける男前の息子10代目は、アメリカ留学中の20歳そこそこのころ、アメリカから小諸のすばらしさを改めて認識し、自ら店の継承を決意したという。そして、小諸の場からどんどん全国、全世界へと、蕎麦の味、そして文化を発信していきたいと気を吐く。

歴史あること継続することは、決して古いわけではない。むしろそこから新しいものを発見し生み出すことのできるベースがより深いだけのことだ。300年続く「丁子庵」の『のど越し』がぼくの喉に新鮮なのは、きっとその深さへの憧憬なのかもしれない。

SHOP INFORMATION

▶ 店名 そば蔵 丁子庵
▶ 住所 長野県 小諸市本町2-1-3
▶ 営業時間 11:00 ~ 18:30
▶ 定休日 4月~11月無休 12月~3月毎週火水曜日定休
▶ TEL 0267-23-0820
▶ URL http://choujiya.jp/

※食随筆家 伊藤章良さんが出演している、BSフジ「ニッポン百年食堂」は2017年7月1日より再放送開始
http://www.bsfuji.tv/100nen/

伊藤 章良

食随筆家

料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。その普遍的な内容から、シリーズ一作目が「東京巷蔵好店」として中国語に翻訳され中華圏でも販売。
2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。番組への反響が大きく、2017年7月1日より再放送開始。

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