食随筆家 伊藤章良のニッポン食堂遺産 第12回「いまきん食堂」

第12回 「いまきん食堂」

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希少な熊本の赤牛は、阿蘇まで出かけて堪能するのが旅の醍醐味。

希少な熊本の赤牛は、阿蘇まで出かけて堪能するのが旅の醍醐味。

もうすっかり日本にも定着したミシュランガイド(赤本)。このガイドブックが持つ本来の意味をご存知だろうか。
ミシュランはフランスのタイヤメーカーであり、元々はタイヤの販売促進のために考えられた。クルマを使って遠方に旅をしタイヤをすり減らしてまでも出かける価値のあるレストランを多数紹介。都心だけではなく遠方の店にも三ツ星の栄誉を与え、クルマひいてはタイヤの需要を喚起させたのである。
信じられない片田舎のレストランながら、ミシュランで三ツ星を獲得すると、やがて世界中から客が集まりだし、宿泊エリアを拡張してどんどん大きな施設となる。近くに高速道路の出口が新設され、小さな空港までできた町も存在する。こうして一軒の三ツ星レストランが中心となり、そこに新しい町が形成されるというのも、あながち夢物語ではない。

多くの来訪客により新たなクルマや人の流れを作った店が、今回訪れた「いまきん食堂」だ。

そして、ミシュランガイドなど存在すらない阿蘇山系のふもとにあって、この店一軒が町全体を活気づかせた、つまり、多くの来訪客により新たなクルマや人の流れを作った店が、今回訪れた「いまきん食堂」だ。

JR九州阿蘇駅

場所は阿蘇内牧温泉街の一角。この温泉は夏目漱石が投宿したことでも知られるが、今は販促の上手な別府や湯布院に客は流れてしまった様子。
JR九州阿蘇駅からこの地まで、ぼくは路線バスで向かったが、ここへはぜひ、クルマでのアプローチを推奨したい。というのも、内牧温泉街に入るやいなや目に飛び込むのが、「いまきん食堂」の専用駐車場なのだ。しかも店に至るまで、いくつもの駐車場が待っていた。

いったいどれだけの人がこの地に訪れるのか。駐車スペースだけで驚いたぼくは、店の前まで来てさらに驚愕。雨男(つまりぼく)の来訪よろしく傘が手放せない平日にもかかわらず、店の前には長蛇の列。それは、店先で整理券を受け取り入店予定を確認後、指定の時間に集まって自分が呼ばれるのを待っている人々なのだ。

ぼくも整理券を受け取ると、一時間半ぐらい後にお越しくださいと告げられる。
一瞬途方に暮れ周りを見渡せば、目の付くところに大きな観光マップ。「いまきん食堂」の周りにも、センスのいいセレクトショップやチープな商売勘定に終始しない土産物店。マップをたどると、夏目漱石ゆかりの温泉宿では足湯のサービスまでやっている。なるほど、客が順番を待つ間の旅の楽しみを一つ一つ増やし、マップや散歩道など新たな工夫もされ、町全体が復興しつつある様子が見て取れた。それこそ自然な形の地方創生ではなかろうか。

「いまきん食堂」の名物、それは「あか牛丼」。ほぼすべての客がこの「あか牛丼」を目指してやってくる。

しっかりとショッピングや足湯まで体験し阿蘇の空気を満喫した後、ようやく入店が叶う。
「いまきん食堂」の名物、それは「あか牛丼」。ほぼすべての客がこの「あか牛丼」を目指してやってくる。ところが、今の代の店主になるまで、ウリは「ちゃんぽん」だったそうだ。「ちゃんぽん」は隣の県の方が有名。であれば熊本の、ひいては阿蘇の名産でオリジナルな料理を作りたい、そんな思いから「あか牛丼」は誕生した。

赤牛とは、あまり聞きなれない和牛の種類だ。しかし、牛肉好きの間では垂涎の、熊本と高知でしかほぼ生産されないブランド。「いまきん食堂」の「あか牛丼」は、そんな希少な地元産赤牛をふんだんにトッピングしたオリジナルどんぶり。その世界観は、真上から見ると阿蘇のカルデラそのもので、店主の阿蘇に対する熱い思い入れが伝わってくる。

ところせましと肉が収まったどんぶりには、ワサビ、肉味噌、センターに温泉卵が添えられる。

ところせましと肉が収まったどんぶりには、ワサビ、肉味噌、センターに温泉卵が添えられる。さっと焼いた赤身肉は、香り高い独特の酸味に守られつつ程よい肉質が口の中で弾け、永遠に噛んでいたい。ところが、ワサビ、肉味噌、卵を使って変化をつけると、あっという間になくなって悲しくすらある。その余韻に浸りたくて、肉味噌を別途購入した。

東京でも赤牛を看板にした料理店を散見するが、赤牛の生産量を考えるとどこまで本物なのか確証がない。その点「いまきん食堂」は、赤牛はもちろん素材のほとんどすべてを地元産に徹している。
実際、熊本一帯の震災で赤牛が取れなくなった悲しい時期があったが、そのときは「あか牛」でのどんぶりは提供できない旨、明示していたと聞いた。

どんなに遠方でも生産地まで出向いて、地元を愛する高い志の店に並び、街全体の空気を味わったのち「あか牛丼」を堪能する。「ご馳走」に対する敬意は世界中どこでも同じなのだ。

いまきん食堂店主

SHOP INFORMATION

▶ 店名 いまきん食堂
▶ 住所 阿蘇市内牧290
▶ 営業時間 11:00~15:00(受付終了)
▶ 定休日 水曜日・第三木曜日
▶ TEL 0967-32-0031

※食随筆家 伊藤章良さんが出演している、BSフジ「ニッポン百年食堂」は2017年7月1日より再放送開始
http://www.bsfuji.tv/100nen/

伊藤 章良

食随筆家

料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。その普遍的な内容から、シリーズ一作目が「東京巷蔵好店」として中国語に翻訳され中華圏でも販売。
2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。番組への反響が大きく、2017年7月1日より再放送開始。

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